青山 光二(あおやま こうじ、1913年2月23日 - 2008年10月29日)は、日本の小説家。
神戸市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部美術史学科卒業。在学中の1935年(22歳)、織田作之助らと同人雑誌『海風』を創刊するPROFILE・略年譜。
大村謙太郎の仲介により映画『東京ノ回敎徒』を制作することとなり脚本を担当、1944年6月「室町一郎」名義で脚本完成、9月末に映画完成。
戦後、『旅への誘ひ』(1948)などの私小説風連作を発表。1956年、『法の外へ』で直木賞候補。
その後、任侠ヤクザ路線に移行し、『修羅の人』で1966年再度直木賞候補、1966年(53歳)小説新潮賞を受賞。1977年、『竹生島心中』で三たび直木賞候補、及び泉鏡花文学賞・平林たい子文学賞候補。1980年、大正末期の土木業者間の紛争「鶴見騒擾事件」を描いたノンフィクション小説『闘いの構図』で平林たい子文学賞受賞。ほかに『われらが風狂の師』は哲学者土井虎賀寿をモデルとした異色作である。
1990年、日本文藝家協会の永山則夫入会問題で、入会委員長として入会に強く反対した。1998年(85歳)、勲四等旭日小綬章受章。2003年(90歳)、私小説『吾妹子哀し』で第29回川端康成文学賞を受賞、異能作家の受賞で世間を驚かせた。2008年10月29日、肺炎のため死去、95歳没PROFILE・略年譜。
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