皆川 博子|みながわ ひろこ|1929年12月8日あるいは1930年1月2日履歴書|2014|p=150 - は、日本の小説家。様々なジャンルにわたる創作活動を行うが、中井英夫や赤江瀑などの作家への敬愛から生まれた幻想文学、または幻想的なミステリにおいて知られる。
朝鮮京城に生まれるが、京城帝国大学医学部助教授だった父親が東京渋谷に医院を開業したのを機に、生後3か月で東京に移る履歴書|2014|p=150。東京女子大学外国語科英文学専攻に入学するが、1949年(昭和24年)、病気のため2年で中退する履歴書|2014|p=150。1952年(昭和27年)に結婚する。
幼いころからの読書好きで、主婦業のかたわらミステリー小説を濫読していたが、高校生の娘が交換留学で1年間オーストラリアへ行くことになり、突如執筆意欲が湧いて物語を書き始め、1970年(昭和45年)、「川人」で学研児童文学賞を受賞する履歴書|2014|p=151。
1972年(昭和47年)、『海と十字架』で児童文学作家としてデビューする履歴書|2014|p=150。また江戸川乱歩賞に作品を応募し最終選考に残るが落選したものの、そのときの選考委員の一人の南條範夫が「普通の小説が書けそうだから」と『小説現代』の編集長に皆川を推薦し、編集長から小説現代新人賞に応募するように言われる履歴書|2014|p=151。最初の応募作は最終候補どまりだったが、1973年(昭和48年)、「アルカディアの夏」で小説現代新人賞を受賞する履歴書|2014|pp=150-151。受賞後第一作として発表した「トマト・ゲーム」が1973年の直木賞候補となり、1976年(昭和51年)に書き下ろし歴史長編『夏至祭の果て』も直木賞候補となった。
1985年(昭和60年)、『壁・旅芝居殺人事件』で第38回日本推理作家協会賞を受賞、1986年(昭和61年)、『恋紅』で第95回直木賞を受賞する。1990年(平成2年)、短編集『薔薇忌』で柴田錬三郎賞を受賞、1998年(平成10年)には『死の泉』で吉川英治文学賞を受賞する。
2012年(平成24年)、『開かせていただき光栄です』で第12回本格ミステリ大賞を受賞、2013年(平成25年)、第16回日本ミステリー文学大賞を受賞する。
2015年(平成27年)には文化功労者に選出される。2022年(令和4年)には第63回毎日芸術賞を受賞した。2024年(令和6年)、『風配図 WIND ROSE』で第34回紫式部文学賞を受賞した。
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